イエス・キリストは誰かを憎まれることがありますか? 何かを憎まれることがありますか?
あなたがもしイエスを知っているなら、イエスが愛であられること、まったき愛であられることを知っていると思います。もしイエスを知らないなら、今イエスを知ることができます。イエスはこの地上での3年間の公生涯の間、各地を巡り歩いて非常に多くの良きわざをされました。聖書は使徒の働き10章38節で、イエスは巡り歩いて良いわざをなし、悪魔に制せられているすべての者をいやされた、と述べています。悪魔や悪霊は盗んだり、殺したり、滅ぼしたりしようとしますが、イエスはいのちを与えるために来てくださいました。
イエスは病人たちを癒したり、盲人たちの目を開けたり、死人たちをよみがえらせたり、わずかなパンと魚で数千人を食べさせたり、水の上を歩いたりされました。イエスはこのように驚くべきことをされましたが、それはすべて、人々のためのものでした。弟子たちが子どもたちをイエスのところに行かせないようにしようとした時、イエスは「子どもたちをわたしのところに来させなさい」と言われました(マタイ19:14)。イエスは人々を愛しておられます。しかし、イエスが好まれない人々もいるのでしょうか?
イエスは誰を、そして何を憎まれましたか?
イエスは何を憎まれるかについて、とても明確であられます。イエスは宗教を憎まれるのです。イエスはしばしば、当時の宗教家たちを偽善者と呼んでおられます。なぜでしょうか? 人生でずっと身体に障害を抱えていた人たちが癒された時、これらの宗教家たちは、喜ぶかわりに、その時に破られた宗教的な掟を探すといったことをしていたからです。例えば、人々が癒されたのは安息日であったか否か、といったことです。宗教指導者たちは、生徒たちや弟子たちを遣わし、イエスに従う何千人もの人々に紛れ込んでイエスの教えを聞かせるようにしました。彼らは、色々な宗教的な問いをイエスに投げかけて、イエスが宗教的な掟を破るのを見つけ出そうとしたのです。
コロサイ人への手紙2章8節によれば、宗教とは人の言い伝えです。マタイの福音書15章9節で、イエスはまさにそのことを語っておらます。その前の15章7節では、イエスは宗教家たちを偽善者と呼んでおられます。なぜでしょうか? 偽善者たちは、他の人にはするなと教えているまさにそのことを自分がするからです。イエスは、他の人にせよと教えらたことをご自分もされました。それだけではありません。ヨハネの福音書14章12節で、イエスは、ご自分に従う者たちがご自分よりもさらに大きなわざを行うように力を下さる、と語っておられます。
神は宗教を憎まれます
神は宗教を憎まれますが、人々は憎まれません。しかし、もし、宗教家たちが人々をだまし続け、人々を神から引き離して無益な宗教的伝統に引き込もうとし続けるなら、彼らは滅ぼされてしまうでしょう。彼らは決して神を見られなくなるでしょう。
私たちは、神は愛であられると知っています。今日神を知ってください。良い教会を見つけてください。毎日自分の聖書を読んでください。そして、神の御言葉(聖書)を通してあなたに語ってくださるよう、神に求めてください。神は必ずそうしてくださいます。なぜなら、神はあなたが想像できる以上にあなたを愛しておられるからです。
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